'03/10/18におかあさんからこんなものを見せて頂きました。これらに大平農園に脈々と流れる、大切なものを感じました。、、、のでここで公開。

「感謝」

正面玄関入って右にこれがあります。これは農家ではなくても大切な事だけど、大平家でもこういう物が、それも玄関入ってすぐの所にあったので感心、安心、同感。

この方が先代。
おかあさんのおとおさん。
偉大な方だったようです。

玄関入って正面にこれ
「人生は熱と眞心 足食農人」

先代のモットーであり、そして、先代が作られたそうです。大平家のけやきの木で作ったそうです。切ったのは昔いた、鋸でまっすぐ切る事を職業としていた人だそうです。

そのととり!
、、、私も、歳とっても、なかなか目標に近付けなくても熱くいよう!って思います。でも、私の痛い経験から真心の通じない人も残念ながらいる。そてもたくさん。って思ってたり。

※足食農人;ソクシノウジンって読みます。
※真心;親身になって・尽くす(奉仕する)気持。そのものの将来を真に心配(して奔走)する気持。「−を込めて、仕事をする・国を思う−」( 国語辞典から)

上の裏書き。

「熱と真心の会」っていうのはその頃の大平農園の研修生のOB会だそうです。


先代足食会広田コウキあいなめ祭全国農民連合会石黒忠篤

 先代の話し。先代は戦前戦後の食糧増産に貢献しようと、農業技術を高め普及する目的で世田谷界隈の農家を中心に500人ぐらいの会を作ったそうです。

 その会の名前をどうするか?そこで、農林水産大臣だった広田コウキさん(戦後A戦犯として巣鴨プリズンに入り死刑。亡骸は農民達の強い要望で広田家に戻されたそうです。)に相談して、論語から、「足で食う会、足食会(ソクシカイ)」と名付けてもらったそうです。

 そこから先代は自分のセカンドネームとして足食農人(ソクシノウジン)と名乗ったそうです。

 先代の大平農園で泊まり込んだりして研修していた人達は地元に戻って農業に従事する傍ら地元に足食会を作ったそうです。まず、山形にできたそうです。それが全国組織の全国農民懇談会(全国農民連合会だったかな?その辺りの立ち上げに石黒忠徳(チュウトク)という方が尽力されたそうです(だったかな)。)に発展していったそうです。その全国組織は先代が亡くなられて、なくなったそうです。

 今でも秋に行われている明治神宮の「あいなめ祭」はこの世田谷の足食会が願いを込めて始めて、足食会が全国に広まるにつれて、あいなめ祭に奉納する人たちも全国からになり、その後、運営・主催が足食会から農水省に移ったそうです。最近作られた明治神宮の記念誌に先代の顔が大きく載っていた時に、このような話が全て事実だと確信し驚かされました。

 先代にお世話になった研修生達はOB会として「熱と真心の会」と名乗ったそうです。そのOBの一人が今の大平家のおとうさんである「大平博四」さんであり、最近大平家に来られている「HAたのさん」もその一人のようです。

 先代の「熱」を大平家、おとうさん、おかあさん、HAたのさんは受け継いでいるようです。私もその「熱いもの」をほんの少しでも受け継ぎたいものです。

「水の教(オシエ)
(水得五訓とも言うらしい(「得」は「徳」の字かなあ))  

自ら活動して他を動かしむるは水なり
常に己の進路を求めて止(や)まざるは水なり
障害にあいて激しくその勢力を倍加するは水なり
自らは潔(いさぎよく)して他の汚濁を流(あら)い清濁合せているる量あるは水なり
足食農人(そくしのうじん)

なるほど!これは全て言えてる!と私は思った。が、おかあさん曰く、「『父には4番目が足らない』ってよくみんなで言ってたわ」って。でも、4番目も非常に大切だよなって私も農業界を流れてみてすごく思うです。

これは最近、大平家の母屋近くにマンションが建つ前、さら地になった時に撮った写真を元に作ってもらった版画(正式な技法名は知らない)。客間に飾ってありました。


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