先代の話し。先代は戦前戦後の食糧増産に貢献しようと、農業技術を高め普及する目的で世田谷界隈の農家を中心に500人ぐらいの会を作ったそうです。
その会の名前をどうするか?そこで、農林水産大臣だった広田コウキさん(戦後A戦犯として巣鴨プリズンに入り死刑。亡骸は農民達の強い要望で広田家に戻されたそうです。)に相談して、論語から、「足で食う会、足食会(ソクシカイ)」と名付けてもらったそうです。
そこから先代は自分のセカンドネームとして足食農人(ソクシノウジン)と名乗ったそうです。
先代の大平農園で泊まり込んだりして研修していた人達は地元に戻って農業に従事する傍ら地元に足食会を作ったそうです。まず、山形にできたそうです。それが全国組織の全国農民懇談会(全国農民連合会だったかな?その辺りの立ち上げに石黒忠徳(チュウトク)という方が尽力されたそうです(だったかな)。)に発展していったそうです。その全国組織は先代が亡くなられて、なくなったそうです。
今でも秋に行われている明治神宮の「あいなめ祭」はこの世田谷の足食会が願いを込めて始めて、足食会が全国に広まるにつれて、あいなめ祭に奉納する人たちも全国からになり、その後、運営・主催が足食会から農水省に移ったそうです。最近作られた明治神宮の記念誌に先代の顔が大きく載っていた時に、このような話が全て事実だと確信し驚かされました。
先代にお世話になった研修生達はOB会として「熱と真心の会」と名乗ったそうです。そのOBの一人が今の大平家のおとうさんである「大平博四」さんであり、最近大平家に来られている「HAたのさん」もその一人のようです。
先代の「熱」を大平家、おとうさん、おかあさん、HAたのさんは受け継いでいるようです。私もその「熱いもの」をほんの少しでも受け継ぎたいものです。
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